|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 新 : [しん] 1. (n,n-suf,pref) new ・ 新橋 : [しんばし] 【名詞】 1. Shinbashi (section of Tokyo) ・ 橋 : [はし, きょう] 【名詞】 1. bridge ・ 花 : [はな] 【名詞】 1. flower 2. petal ・ 花街 : [はなまち] 【名詞】 1. red-light district 2. prostitution quarter ・ 街 : [まち] 【名詞】 1. (1) town 2. (2) street 3. road
花街としての新橋(しんばし)は、現在の東京都中央区銀座における花街である。「芸の新橋」と呼ばれ、日本各地の花柳界からも一目置かれている〔浅原、p.18.〕。 == 略歴・概要 == 始まりは1857年(安政4年)、現在の銀座八丁目付近に三味線の師匠が開業した料理茶屋が始まりだといわれる。当時、新橋の芸者(芸妓)能楽太夫の名にちなみ「金春芸者」(こんばるげいしゃ)と呼ばれていた。「金春新道」沿いに粋な家屋が明治初年まで立ち並んでいた〔戸川、p.26-27.〕。 明治に入り、江戸期からの花街柳橋とともに「柳新二橋」と称し、人気の花街となった。明治期に新政府高官が新橋をひいきにしたのは、東京の花柳界では新橋は新興であり、伊藤博文、板垣退助らが同地に集った〔浅原、p.22.〕。当時の名妓には板垣に落籍された小清(こせい)などがいる。 大正期になると芸者の技芸の向上に取り組んだ〔浅原、p.21.〕。1925年(大正14年)に新橋演舞場の杮落とし公演として『東をどり』を初演、中村喜春、まり千代などといった名妓を輩出した。 昭和中期には最盛期を迎え、芸者約400名を擁していた。高度経済成長期、石油ショック以後には料亭、芸者数が減り、2007年(平成19年)現在、料亭12軒、芸者70名である〔浅原、p.〕。同年は「新橋芸者発祥150周年」が祝われた〔。 現在の港区新橋には「新橋南地」〔上村、p.〕(別名、「烏森」)という花街があった。元は本項「新橋」と一緒であったが、その後に分離し、現存しない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新橋 (花街)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|